近衛文麿

五摂家筆頭の家柄で、父は公爵近衛篤麿。京都帝国大学で河上肇に学ぶ。大正5年(1916)貴族院公爵議員。西園寺公望の随員としてパリ講和会議に出席。昭和6年(1931)貴族院副議長、8年(1933)に同議長に就任。昭和12(1937)年第1次近衛内閣を組閣。同年7月の盧溝橋事件を契機に支那事変へ突入したが、新体制運動の中心人物として以後3次にわたり首相をつとめた。15年(1940)大政翼賛会設立、日独伊三国同盟締結。戦後、「A級戦犯」として逮捕されることになるが、直前に服毒自殺した。

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参考文献 歴史年表