日本における「戦犯」

大東亜戦争戦勝国は日本の指導者、軍人らを「戦犯」とし、今でもそう呼んでいる国もあるようだが、日本では同じ意味での「戦犯」は存在しない

昭和27年(1952)4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効して日本の独立が実現すると、「戦犯」の早期釈放を求める国民大運動が沸き起こり、その後の国会での決定により、すべての「戦犯」が釈放され、彼らは国内法上「犯罪者」ではなくなったのである。「戦犯」と呼ぶのは旧敵国であり、日本では犯罪者ではない。このことは国会で圧倒的多数で可決されたことである。日本人は「戦犯」などと言ってはならないのである。

日本では「A・B・C級戦犯」は国事殉難者と位置づけられている。

  「A級戦犯」
  「B・C級戦犯」

毎年8月15日に日本武道館で行なわれている全国戦没者追悼式の「戦没者の霊」には「A・B・C級戦犯」も含まれているし、その遺族にも招待状が送られている。また、「A・B・C級戦犯」は「法務死」とされており、恩給法、遺族法が改正されて、その法務死の人々にも恩給を現在でも支給されているのである。

東京裁判の判決で「A級戦犯」で終身禁固となった賀屋興宣は、のちに法務大臣となっている。同じく「A級戦犯」で禁固7年の重光葵は、日本が国連に加入したときの副総理、外務大臣になっている。これを非難する者はいなかったし、今でもいないが、処刑された「A級戦犯」はけしからんと叫ぶ輩が日本にもいる。

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参考文献 歴史年表