戦争で敗戦が濃厚になってきた場合、そこで戦争をすると市民に被害が出るため、その町を敵に明け渡すこと。公式に非武装宣言をして国際法によって都市を敵の攻撃から守ることができる。 日露戦争の奉天、第二次世界大戦のパリなどがオープン・シティにされ被害にあわなかった。 ヒトラーはベルリンにいて有名な「パリは燃えているか?」という質問をしたが、ドイツ軍はパリを破壊しなかった。 ワルシャワ、ベルリン、マニラ等は戦場になり破壊された。 1937((昭和12)年の日本軍の南京攻略では、国民政府軍がオープン・シティ勧告を拒否したため戦場になった。 |
参考文献 | 歴史年表 |