フランシスコ・ザビエル鹿児島上陸

ポルトガル人が種子島に漂着してからわずか6年後の1549年に、スペインのフランシスコ・ザビエルがキリスト教の布教のために鹿児島に来日した。
ヨーロッパでは100年にわたるカトリックとプロテスタントの宗教戦争が始まる中、1534年にイエズス会が創立され、ローマ法王によって公認された。このイエズス会の創始者がフランシスコ・ザビエルとイグナティウス・デ・ロヨラである。ザビエルはアジア大陸をそれぞれ管轄することになった。
イエズス会はローマ教会の中でも戦闘派で、その真の目的は異教、異端の国々の抹殺、民族の殺戮にあったローマ法王の侵略の手先がイエズス会であり、アジア侵略の密命を帯びて来日したのがザビエルだった。事実、教会にはマニラから持ち込んだ鉄砲や弾丸が貯蔵されていた。
豊臣秀吉はこの魂胆を見抜き、バテレン追放令を発することになる。

白人のアメリカ到達カリカット到達フィリピン到達などによって、アフリカや南北アメリカ、フィリピンは簡単にヨーロッパによって攻略されたのに、日本(支那やインドも)はそうならなかったのはなぜか。それは、ヨーロッパ人はこれらの国には歯が立たなかったからである。宗教の発展段階が違っていた、歴史と文化の厚みが違っていた、東アジア諸国は宗教より政治が強い地域であった、などの理由を挙げることができるが、一番の理由は軍事的抵抗力があったからである。
とりわけ、日本は当時世界においては最強国に属していた。日本はまさに戦国時代にあったのである。

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参考文献 歴史年表