「明治維新」の辞書での説明 江戸幕府による幕藩体制から、明治政府による天皇親政体制の転換と、それに伴う一連の改革のこと。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・教育・外交・宗教政策など多岐に及ぶ。 行なった改革は、版籍奉還、廃藩置県、四民平等、学制の発布、徴兵令の施行、地租改正、会議を開き、世論に基づいて政治を行なうこと、などである。 しかし、この明治維新という事件を一国史上の出来事ととらえているかぎり、明治維新の本質は理解できない。 明治維新の世界史的意義 明治維新の目的については、上記の明治維新の世界史的意義でも述べられているが、もうひとつ、欧米列強のアジア侵略を阻止してアジア近隣諸国との同盟関係を創出し、そして有色人種の地位を向上させたいという遠大な目的も含まれていた。 このアジア解放という問題に関しては、近隣諸国との同盟関係の構築が非常に困難だった。近隣諸国がなかなか同調してくれなかったためである。結果的には孤軍奮闘の末に白人帝国主義連合とその支援にすがった支那(国民政府と共産党政府)に叩きのめされる惨劇に終わった。 19世紀、20世紀の厳しい国際情勢において、支那(清国)や朝鮮は皇帝や王の独裁体制だった。朝鮮は結局、王朝内部の権力争い、国民を顧みない権力闘争が続く中で日本に併合され(韓国併合)、支那は辛亥革命で近代国家形成へ一歩踏み出したが、国内は不安定を極め、軍閥が跳梁跋扈して近代国民国家形成や近代化推進に関する意欲と能力は著しく欠いていた。それゆえに朝鮮と支那の悲惨な境遇はみずから招き寄せたという面が多大にあった。そこで日本はひとりアジア解放の重荷を背負わされ、大東亜戦争で援軍もなく自滅した。 大敗北を喫したとて、われらが日本の歴史を貶める必要は全くない。むしろ大いに誇ってしかるべき日本民族の偉業である。それが明治維新以降、大東亜戦争敗北までの経路である。われわれはこの先祖の偉業を誇りとして民族の記憶の奥底に深く長く留めておくべきである。 「明治維新」という言葉について 王政復古の大号令の中では、旧来のものを改め、すべてを新たに始めることを意味する「維れ新たなり(これあらたなり)」という言葉が用いられた。そこで、幕末から明治初期にいたる一連の変革を明治維新という。 |
参考文献 | 歴史年表 |