白人のアメリカ到達以来、アメリカにはヨーロッパの白人入植者が東海岸から流入した。白人たちは西へ西へと進みつつ先住民のインディアンを駆逐し、さらにメキシコから広大な領土を奪った。 アメリカ建国以後のインディアン アメリカは他の西欧列強のように激しい植民地競争をする必要がなかった。西には広大な土地があり、わざわざ外に侵略地を求める必要がなかったからである。 ところが、19世紀末には白人の侵略は西海岸に到達し、もはや開拓すべき土地がなくなってしまった。 1890年、アメリカの国勢調査局は、「フロンティアの消滅」を宣言、アメリカの全ての土地に入植者が入ったことを認めた。 このことにアメリカの白人は失望した。もはや開拓すべき土地がないという落胆はフラストレーションとなった。 そうなると新たなフロンティアを見つけるしかないので、アメリカは太平洋の島々に進出し始めた。 こうして1897年にはハワイを強奪、1898年には米西戦争の勝利でグァム島とフィリピンを獲得。激しいフィリピンの独立運動を鎮圧して1901年ついに完全な植民地とすることになる。 他の島々は同じ白人国家であるイギリス、フランス、オランダの植民地であり、アメリカは白人国家に割り込むつもりはなかったのでスペイン以外は戦争をしかけなかった。 こうしてアメリカは支那大陸に進出するのみとなった。 そこでアメリカやったのが、門戸開放宣言、鉄道王・ハリマンの南満洲鉄道共同経営提案、ノックス国務長官の満州鉄道中立化提案などである。 門戸開放宣言(1899年) 桂・ハリマン仮条約(1905年) 満州鉄道中立化提案(1909年) この年は、アメリカンインディアンが完全に征服された年でもある。 ウンデッド・ニーの虐殺(1890年 |
参考文献 | 歴史年表 |