日本人移民増加(18世紀末から)

アメリカでは支那人移民を完全に禁止する法律が制定され、支那人はアメリカに移住できなくなった。

  支那人移民禁止法制定(1882年)

移住禁止になった支那人に代わるようにして19世紀末ごろから、日本人がアメリカに移住するようになった
日本人もアメリカ西部の白人にとってしゃくにさわる存在だった。日本人移民は勤勉だったのだ。大正の終わりごろまでカリフォルニアで開拓された農地の80%は日本人移民によるといわれている。
そのうえ、日本人は白人に卑屈ではなかった。それは当然であった。西部まで来た白人はアイルランドや東ヨーロッパのポーランドあたりの出身者が多い。その人々が警察官になったりした。日本から行った移民にしてみれば、アイルランドはイギリスの植民地でひどい目に逢っているところで、日本は彼らの親分のイギリスと対等の条約(日英同盟)を結んでいる。ポーランドはロシアに抑えつけられているが、日本は日露戦争でロシアに勝った。
そんなわけで白人である彼らがいくら威張っても、黄色人種の日本人は媚びることがなかった
白人にとって、こんなしゃくにさわる有色人種は見たことがないというわけで、白人のなかに憎しみが溜まる。しかし支那人と違い暴力は振るえないから、法的に日本人移民を締め出す方向に動き出した

  アメリカの排日政策
  日米紳士協定(1908年)
  絶対的排日移民法(1924年)


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参考文献 歴史年表