朝鮮国王の露館播遷以降、朝鮮はロシアの属国のごとくなってしまった。 露館播遷(1896年) また、ロシアは北清事変で全満州を占領してしまった。、 北清事変(1900年) ロシアが満州を押さえると、再び朝鮮半島に手を伸ばしてきた。ロシアは森林保護の名目で朝鮮北部の森林伐採権や鉱山開発権を獲得したりした。 そして、明治36(1903)年、満洲と朝鮮を分ける鴨緑江河口(黄海に接する)の港、龍岩浦をロシアは手に入れて「ポート・ニコラス」という軍港に仕立て上げ、遼東半島沿岸や朝鮮の西海岸に圧力をかけた。また、それだけでは飽き足らず、朝鮮海峡に面した港、対馬まで照準を定めた。これによって日本は風前の灯のごとき状況になってしまった。 このあたりから日露戦争への動きが顕在化するわけだが、当時の日本はロシアと戦争する力がなかったためノーとは言えなかった。 その日本が、開戦へ歩みだせた背景には日英同盟の存在があった。 日英同盟(1902年) 日露戦争(1905年) |
参考文献 | 歴史年表 |