第一次世界(欧州)大戦開始後、ドイツに劣勢だったイギリスは日英同盟を根拠に日本に何度も参戦するよう要請した。しかし、日本には参戦する理由がなく、また、同盟の範囲はインドまでとされていたため日本は参戦の要請を拒否した。三国協商側のフランスやロシアなども日本に参戦を要請したが、それでも日本は拒否した。三国干渉の苦い経験もあり、日本は出兵に関して非常に慎重だった。 やがてドイツ潜水艦が無差別攻撃を開始し、日本の欧州航路客船も危機にさらされるようになった。 日本は、山東省、南洋諸島のドイツ権益を日本が引き継ぐことをイギリスから了解を得て、ドイツに宣戦布告した。ただし、海軍は地中海に派遣したが、陸軍の派兵は最後まで行なわなかった。陸軍は支那大陸山東半島の青島(ドイツ租借地)や太平洋上のドイツ領(カロリン諸島、マーシャル諸島、マリアナ諸島)を占領・攻略するに留まった。この山東半島に対する一時的な管理権はベルサイユ条約によって戦後日本に認められる。 これに対してアメリカは、良好な英米関係をつくる好機ととらえた。アメリカは141隻もの軍艦を派遣し、陸軍をヨーロッパ戦線に送り、多くの戦死者を出しながらも三国協商側(連合軍)を勝利に導いた。この貢献によりアメリカはヨーロッパの戦勝国に恩を売り、戦後、ヨーロッパに対して発言権を大きく増した。イギリスやフランスはアメリカに頭が上がらなくなった。 第一次世界大戦中、ロシア革命が起こると、イギリスは日本にシベリア出兵を要請してきた。 ロシア革命 シベリア出兵 第一次世界大戦もシベリア出兵も、日本はイギリスに頼まれてしぶしぶ参戦したわけだが、本格的に参戦しなかったためそれが裏目に出てしまった。もし第一次大戦に陸軍が兵を出していれば戦後の日本の地位はもっと上がったはずである。その後の日英同盟の破棄もなかったかもしれない。ということは大東亜戦争も起こらなかったかもしれない。 |
参考文献 | 歴史年表 |