成立当初のソ連は経済的に破綻寸前の状況だった。1917年のロシア革命から数年後には、餓死者が数百万人も出るほど悲惨であった。 ところが、1929年(昭和4)世界大恐慌の年にスターリンは第一次五カ年計画をスタートさせた。 これはソ連経済を復活せしめたような感があった。とくに重工業に対して重点的な投資が行なわれ、驚くべき伸びを示した。 大恐慌は、いつまでたっても終わらなかった。 世界大恐慌(1929年) 景気が回復しない原因はホーリー・スムート法から始まる保護貿易にあるのだが、当時の経済学はそれがわかるまで進歩しておらず、多くの人が「もう自由放任の時代は終わった」と即断することになった。そこで浮かび上がったのが統制経済的なアイデアである。つまり中央政府が強権を発動させることで経済活動を振興するという「社会主義」である。 実際にはこの五ヵ年計画は色々な弊害を生み出し、長い目で見れば成功とは言いがたいが、世界中が不況に苦しんでいる中、ひとりソ連だけが活況を呈しているのをみて、「自由放任は駄目なのではないか」と思わせるインパクトがあった。こうした事情で、どこの国でも経済政策は自由主義から社会主義にシフトしていくことになった。 アメリカのフランクリン・ルーズベルトが昭和8年(1933)、ニューディール政策をやったものその一例である。 スターリンはこの「五ヶ年計画」を繰り返し、ついには満蒙国境あたりに20個指弾を動員できる体制をつくりあげる。 これに対して、満州事変勃発当時、日本軍が大陸に持っていた軍隊は約1個師団しかなかった。 満州には張学良の軍隊が10万人もいた。これが全部反日に転じてきた。陸軍にとって非常に大きな脅威となった。 満州事変(1932年) |
参考文献 | 歴史年表 |