共産軍、延安着(1935年)

蒋介石の掃共戦によって「長征」を続けていた共産軍はソ連に近い山奥の延安に落ち延びた
長征(逃避行)を開始したとき10万いた軍隊は延安に着いたときにはわずか6千にまで激減していた。あまりにも奥地まで逃げたので、日本軍ともほとんど遭遇したことがなかったほどである。
その延安に落ち延びる途中で民族統一戦線(八・一宣言)が打ち出された。

  八・一宣言

国民党の掃討戦の前に支那共産党の命運は「最後の5分間」と言われた。
ところがそんなとき、「西安事件」という重大事件が起こり、共産党は息を吹き返すことになる。

  西安事件(1936年)


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参考文献 歴史年表