蒋介石の掃共戦によって「長征」を続けていた共産軍はソ連に近い山奥の延安に落ち延びた。 長征(逃避行)を開始したとき10万いた軍隊は延安に着いたときにはわずか6千にまで激減していた。あまりにも奥地まで逃げたので、日本軍ともほとんど遭遇したことがなかったほどである。 その延安に落ち延びる途中で民族統一戦線(八・一宣言)が打ち出された。 八・一宣言 国民党の掃討戦の前に支那共産党の命運は「最後の5分間」と言われた。 ところがそんなとき、「西安事件」という重大事件が起こり、共産党は息を吹き返すことになる。 西安事件(1936年) |
参考文献 | 歴史年表 |