アメリカ「中道政策」(1937年)

支那事変の勃発は、ただちに日米関係を悪化せしめたわけではなかった
当時のアメリカの極東政策の基調は、国務長官・コーデル・ハルのいわゆる「中道政策」を採用していた。
アメリカが中道政策を採用した理由は以下のこと等が考えられる。
  1. 満州事変でアメリカは極東における無力を自覚した
  2. 支那事変は局部的に終わるものと予想した
  3. アメリカ内の孤立主義によって積極行動が抑止された
  4. 列国がアメリカと共同行動を取る見込みがなかった
  5. 対日貿易が対支那貿易よりもアメリカにとって有利であった
盧溝橋事件勃発間もない7月16日、ハルは事件について声明し、武力行使の抑制、内政不干渉、国際協定の順守、他国の権利の尊重、通商上の機会均等、軍備制限など米国伝統の外交原則を表明したが、事件そのものには触れず原則論に終始した

これに対して、日本はハルの声明の諸原則には賛同するが、それらの適用に際しては、支那に発生しつつある「特殊事情」についての現実的認識が必要である旨を回答したのであったが、これが以後、日本の支那事変をめぐる対米姿勢の基調となっていく

日本側は昭和12年(1937)9月、広田外相が植田駐満大使に「列国との関係を悪化せざるために他国を刺激する言動を慎み、極力事端の発生を避け、事端発生の場合には速やかに穏便解決に努力すること」と指示していた。
このように支那事変勃発当初においては、日米双方ともそれぞれの立場は主張しつつも、事変をして両国関係を悪化せしめざるよう、その言動において慎重な配慮を施し、相手を刺激せぬよう極力努めていたのだ。

参考文献:大東亜戦争への道 (中村 粲)


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参考文献 歴史年表