首相に就任した東條は議論を
こうして第三案の論議に入り、外交交渉を打ち切って作戦に転換する期日をいつにするかの問題を論ずることになった。 参謀本部側が「外交は作戦を妨害せぬこと」と主張したのに対し、東條首相と東郷外相は「外交と作戦は併行してやるのであるから、外交が成功したら戦争発起をやめること」を強く求めて反論し、統帥部と対立した。結局、外交交渉は11月30日夜12時までと決定された。首相と陸相を兼摂した東條ですら、統帥部の意向に逆らうことはできなかった。 ここにおいて、この期限に至るまでの交渉案として東郷外相が提示したのが、有名な甲案と乙案である。
乙案 12月2日早晩にまで及んだ連絡会議は、ここに甲乙両案と「帝国国策遂行要領」を決定して散会した。 9月6日御前会議決定は陛下の御掟通り「白紙還元」され、新しい交渉案がここに生まれた。 11月5日御前会議が開かれ、「帝国国策遂行要領」と甲・乙両案が最終的に決定され、この案による対米交渉が開始されることになった。 参考文献:大東亜戦争への道(中村 粲著) |
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