「帝国国策遂行要領」(9月6日採択)

9月3日のルーズベルトの回答及びオーラル・ステートメント(9月3日回答)により、日本はいつまでもあてのない対米交渉を継続すべきか、見切りをつけるべきか、見切りをつけて開戦すべきか、という重大決断を迫られた

こうして9月3日、連絡会議は和戦に関する重大決定「帝国国策遂行要領」を承認し、9月6日、御前会議で採択した。

  9月6日御前会議

要点は以下のとおり。

  1. 自存自衛のため、対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に10月下旬を目途として戦争準備を完整する
  2. 同時に外交手段を尽くす
  3. 10月下旬になっても交渉成立の目途がない場合は直ちに対米(英蘭)戦争開戦を決意する

このうち、2に関連して日本が最小限度の要求として
  1. 米英は日華基本条約と日満支共同宣言に基づく支那事変処理を妨害しないこと
  2. ビルマ・ルートによる援蒋行為の停止
  3. 米英は極東の兵力をこれ以上増強せぬこと
  4. 米英は日本との通商を回復すること
など、また日本が承諾しうる限度として、前記の要求が応諾されるならば、
  1. 仏印から支那以外の近接地域には武力進出しないこと
  2. 公正な極東平和確立後、仏印より撤兵する
  3. フィリピンの中立を保証する
  4. 米の対独参戦の場合、三国同盟は自主的に解釈する
等を決定した。

「帝国国策遂行要領」を決定するに至った理由と背景

  1. 米英蘭の対日経済封鎖により、日本は満洲、支那、仏印、タイ以外の地域との貿易が完全に絶え、日本の経済生活が破綻に直面した
  2. ABCD包囲陣が強化され、米英が軍備を増強した。
    例えば、
    • 昭和16年6月シンガポールで英・蒋軍事会議が開かれ、英支軍事同盟ができたと伝えられた。
    • 7月4日、重慶外交部は米英支の結束の必要を放送した。
    • 同月、米大統領は太平洋諸島の防備強化のため3億ドルの支出を技官に要求した。
    • 7月10日、米大統領は議会に150億ドルの国防費と武器貸与予算の支出を求めた。
    • 同26日、米国はフィリピンに極東米陸軍司令部を創設、マッカーサー将軍の指揮下に置く旨発表した。
    • 同30日、米下院軍事委員会は徴集兵、護国軍及び予備兵の在営期間延長の権限を大統領に与える決議案を採択した。
    • 8月、米陸軍予備兵3万人を招集し、9月1日よりマッカーサー米極東軍司令官の魔下に編入する命令をケソン・フィリピン大統領が発出した。
    • 同14日、米英共同宣言(大西洋憲章)が発表された。
    • 同19日、ケソン比島大統領とウォーレス米副大統領が交換放送を行い、米参戦の暁にはフィリピンも加担する旨言明した。
    • 同26日、ニュージーランドのフレーザー首相は同国の基地を米豪蘭が共同使用することに同意の旨発表した。
    • 8月末、米大統領はマグルーダー准将を団長とする軍事施設を重慶に派遣する旨言明した。
  3. 米英蘭の経済圧迫で重要物資、特に石油は一切備蓄に頼る他なくなり、日本の国力は日増しに弱体化し、海軍は二年後には機能を失い、日本の重要産業は極度の戦時規制を施しても1年以内にマヒ状態となることが判明した
  4. 重慶は米英の支援の下に抗戦を継続したため支那事変は解決せず、そのため南方問題はますます急迫し、日本は支那事変と南方問題の両者の間に苦慮するに至った
  5. 日米交渉という万一の場合も予想しておく必要があり、統帥部は責任上それに応ずる準備をしなければならず、そのため国家意思の確定を必要とした
  6. 武力発動には時期的制限があり、上記作戦は11月上旬が最適、12月は不利だが不可能でなく、1月以降は至難、春以降はソ連の動向と雨季の関係上、武力行使は著しく延び、戦争物資の消耗により日本の立場は大きな困難に直面する。武力行使は国家意思決定後最低1ヶ月の余裕を必要とする。交渉期限が10月上旬になったのはこのためである

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参考文献 歴史年表