戦争犯罪会議

1945年5月7日にドイツが降伏し、この時から戦後処理に向かって、連合国は動きはじめるが、具体的な内容が決まったのは、日本が降伏するわずか一週間前の8月8日だった。
この日、ロンドンで英米仏ソの4ヶ国外相会談が催され、この4ヶ国はヨーロッパ枢軸国の「重大戦争犯罪人の審理と処罰のための裁判所を設置するために国際軍事裁判条例を定めること」にはじめて合意した。
現行の国際法や習慣法や条約などでは、ドイツの指導者を裁くことはできない。そこで4ヶ国はこの戦争犯罪会議で、戦犯の意義を勝手に拡張することを決めた。もちろんこれは事後法であり、文明社会では絶対に許されないことである。東京裁判でも戦勝国は日本に対して同じことをやっている。
これに基づき、ドイツの首脳を裁いたニュルンベルグ国際軍事裁判起訴状が10月に発布される。これが「ニュルンベルグ裁判条例(チャーター)」である。

  事後法
  東京裁判所条例(憲章)

この戦犯会議の前にポツダム宣言は発せられている。


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参考文献 歴史年表