東京裁判所条例(憲章)

GHQ東京裁判を行なおうとしたわけだが、そもそも裁くための根拠となる法律がなかった。そこで連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの参謀部が中心となり、そこに検事などが加わって急遽「東京裁判所条例(憲章)」なるものが昭和21年1月19日に作られ、これを根拠に東京裁判を行なった。

裁判は、裁かれる事案が起こった時点で存在した法律に基づいて行なわれなければならない。こんな条例(憲章)を勝手に作って裁判を行なうのは、「法は遡らない」という大原則に明白に違反している事後法であり、国際法上違法であった。

国際法には、戦争そのものを犯罪とするような規定はどこにもない。戦争そのものは法の領域外に置かれている。まして戦争を計画し、準備し、遂行したというかどで、個人が裁かれるというような規則はどこにも存在していない。ただ、戦争遂行の方法だけに、法的規律が存在するのみである。そこで連合国は、東京裁判を行うために、「東京裁判条例(憲章)」をつくって、戦争犯罪を定義し、これを裁く機能を付与し、これによって日本の指導者を裁いたのだ。

ニュルンベルク裁判のチャーターを作ったのち、アメリカ、イギリス、ソ連の三国外相は、1945年12月モスクワにおいて会議を開き、連合国軍の日本統治は、最高司令官元帥マッカーサーによって統一実行されることを協定した。そこで、マッカーサーは、ニュルンベルク裁判のチャーターにならって、この東京裁判のチャーターを作ったのである。
このチャーターは、戦犯とは何であるかを定義し、平和に対する罪人道に対する罪を勝手に定めて、これによって裁判をせよと命じ、同時に裁判官の権限さえも規定したのである。

この条例(憲章)での「戦犯」逮捕の基準は以下のものであった

(A) 平和に対する罪 宣言または無宣言の侵略戦争。あるいは国際法、条約、協定、または保障に違反する戦争の計画、準備、開始または遂行。あるいは上記諸行為のいずれかを達成するための共同計画、または陰謀への参加
(B) 通例の戦争犯罪 戦争法規または戦争慣例の違反
(C) 人道に対する罪 戦前または戦時中、民衆に対してなされた殺戮、殲滅、奴隷的虐使、追放、その他の非人道的行為。あるいは犯行地の国内法違反たると否とを問わず、本裁判所の所轄に属する罪の遂行にして、これに関連してなされたる政治的または人種的理由に基づく迫害。

それまで前例のない、日本が降伏の条件として受諾したポツダム宣言など、どこ吹く風の、「日本悪しかれ」の執念を露にした復讐劇のシナリオとしか言いようがないものである。

  ポツダム宣言

ポツダム宣言によるなら、(B)の「通常の戦争犯罪」だけが対象となるはずである。

この条例はそれまでの国際法や習慣法、条約などとは一切無関係にただ裁判を行うという命令にすぎなかったのである。

この条例の作成には東京裁判の首席検事であるキーナンが加わっていた。告発する側が裁判の規定作りに関与したいたのだ。これでは検事側の論告に合わせて裁く規則をつくったと見られてもしょうがない。

ラダ・ビノード・パール博士は、以下のように述べている。
勝者によって今日与えられた犯罪の定義<チャーター>に従って裁判を行うことは、戦敗者を即時殺戮した者と、われわれの時代との間に横たわるところの数世紀の文明を抹殺するものである
復讐の欲望を満たすために、たんに法律的な手続きを踏んだにすぎないというようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い。こんな儀式化された復讐は、瞬時の満足感を得るだけのものであって、究極的には後悔をともなうことは必然である

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参考文献 歴史年表