東京大空襲

ミッドウェー海戦で大敗して以来、戦況は一転して悲壮感を帯びてきた。昭和19(1944)年7月には、サイパンが陥落し、日本本土がアメリカの爆撃圏となった。
東京大空襲とは、アメリカ軍が主にB29編隊を使って東京に行なった一連の大規模な空襲を指す。なかでも被害が大きかったのが、昭和20(1945)年10日の江東地区への空襲であった。
昭和20年3月9日の深夜から翌日未明にかけて、300機以上のアメリカの長距離爆撃機(主にB29)が東京下町一帯(現在の墨田区、江東区あたり)を低空から無差別爆撃した。死者は12万人以上罹災者は100万人以上にのぼった。そのほとんどが一般市民、それも老人、女、子供だった。健全な男子はほとんど出征しているのだからアメリカ軍は町にどういう人たちが残されていたかはわかっていた。まさに東京大虐殺といってもまったく過言とはいえない。
このように一般市民を狙う空襲は、当時の常識ではありえないことだった。ハーグ条約も民家の爆撃は禁じていた。要するにアメリカは一般市民の大虐殺・ホロコーストをしでかしたわけだ。以後東京への空襲は約130回も続いた。日本の家が木と紙でできていることから、アメリカは焼夷弾がもっとも効率的に人を虐殺できることを知ってそれを用いて絨毯爆撃を行なったのだ。
アメリカはその後、日本全国61都市に同様の無差別爆撃を行い、原爆投下を含め、空襲による被害者は50万人以上と言われる。

  ホロコースト

非戦闘員に対する無差別殺戮という非人道的蛮行は明らかな戦時国際法違反(戦争犯罪)である。もはや戦争の大局が決し、日本から報復される心配がなくなったため行われた大虐殺であった。

この空襲を指揮したのはカーチス・ルメイというアメリカ軍の少佐だ。

  カーチス・ルメイ

世界一の生産力を持つアメリカと、アメリカの援助を受けたイギリスが、爆弾の雨を降らせ、一般市民を無差別に大虐殺するという恐ろしい作戦を思いついた。
ドイツによるユダヤ人大虐殺に勝るとも劣らない悪行であった。この大虐殺の最大の責任者はフランクリン・ルーズベルトであり、カーチス・ルメイである。原爆を使った大虐殺を行ったトルーマンともども、間違いなく20世紀を代表する大虐殺者といってよかろう。

  アメリカの蛮行


ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください
参考文献 歴史年表