1899年にオランダのハーグで採択、1907年に改定され今日に至る。ハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規、陸戦条規などとも言われる。 交戦者の定義や、宣戦布告、戦闘員・非戦闘員の定義、捕虜・傷病者の扱い、使用してはならない戦術、降服・休戦などが規定されている。 主に攻撃手段の制限と占領、交戦者の資格と捕虜取扱いを規定している。 「交戦法規」においては、たとえば、本当は軍隊の一員なのに民間人の服装をして敵軍をだまして、いきなり背後から敵軍の兵士を攻撃して殺害するという、いわゆるゲリラのテロ行為をした者は、捕虜としての資格は与えられず、死刑にすることも認められている。また、戦闘員が、武器を捨てても自軍に加わる意思をもって逃走している場合には、この者は投降したとは認められず、この者に対して攻撃することは合法と認められている。 戦闘員(普通には軍隊の一般構成員)と非戦闘員とは区別されて、非戦闘員である一般の民間人(市民、住民)を攻撃してはならない、というのが交戦法規のうちでもっとも重要な原則である。また、非戦闘員とその財産の保護という人道的要求にこたえて、戦時国際法は、砲爆撃は軍事目標のみに限定されなければならないと規定している(軍事目標主義という)。(大東亜戦争中にソ連のやった蛮行、アメリカのやった蛮行など、交戦法規違反、すなわち真正の戦争犯罪を構成してる) ロシア・ソ連の蛮行 アメリカの蛮行 1907(明治40)年にハーグで国際平和会議が開かれ、ハーグ第三条約、つまり「開戦に関する条約」がつくられた。この開戦条約によって、開戦に当たっては、開戦宣言(宣戦布告)や最後通牒(条件付開戦宣言を含む)によって相手国に事前に通告することが必要になった。 開戦とは、法的な戦争状態を発生させる行為であり、「理由を付した開戦宣言」あるいは「条件を付けた最後通牒」という国家の一方的行為(戦争意思を伴うもの)によって、国家間の国際法上の関係が、平和状態から戦争状態へと転化される。最後通牒というのは、「わが国はこれだけの条件を出した。一定期間待つ。しかし、それが過ぎてしまったら、わが国は行動の自由を確保する。ないしは自動的に戦争状態に入る」という趣旨のものである。 なお、国家間で事実上、武力衝突(戦闘)が生起しても、双方の国家が「戦争意思」を持たず、正式の戦争とならない場合には、国際法上の戦争(戦争状態)とは認められない。支那事変などが、この場合に当たる。ただし、こういう場合にも、戦時国際法規が準用されることになる。 この開戦条約は、大東亜戦争が始まる前の1930年代頃には、すでに兵器の現実の科学的進歩に合わないから、内容的に陳腐化して無効となったという説が強くなった。 日露戦争のときは、まだ開戦条約は締結されていなかった。その時の国際社会では、いきなり敵対行為を開始することによって戦争を始めるのが普通だった。こういうことを知らないと、最初に手を出した方が悪いなどと考える者が出てきてしまう。 日本は明治44(1911)年に批准し、翌年の1912年に陸戦の法規慣例に関する条約として公布された。他の国際条約同様、この条約が直接批准国の軍の行動を規制するのではなく、条約批准国が制定した法律に基づいて規制される。 日露戦争などのごく限られた戦争ではこの規定は比較的よく守られたが、その後の第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争など、一向に守られていない。 戦争犯罪を糾弾する際の法的根拠として主に「ジュネーブ条約」ととともにこのハーグ陸戦協定が参照される。 ジュネーブ条約 ハーグ陸戦条約では「交戦者」の要件を厳格に定めている。 「交戦者」の要件 また、43条では勝者が敗者の主権を無視して恒久的な法を作ってはいけないと規定している。日本国憲法がこれに違反しているのは明白である。 日本国憲法 |
参考文献 | 歴史年表 |