中曽根内閣の官房長官であった後藤田正晴(ごとうだ まさはる)は、頭がイカれてしまったのか、昭和61(1986)年8月14日、国会で「サンフランシスコ講和条約に基づき政府は東京裁判を受け入れている」などと馬鹿なことを言明してしまった。後藤田は、とても国際法に当てはまらない、日本にとってきわめて不利な解釈を求め、外務省の条約局長だった大和田恒(おおわだひさし)がこれに応じて日支関係をはじめとする外交論理に整合性をつけた。![]() ![]() 後藤田は「中国シンパ」と言われていた。田中角栄の下で内閣官房副長官をしていた。 外務省ホームページにある談話の全文 |
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