「ファシズム」という語は、イタリアのムッソリーニが大正10年(1921)ファシスタ党を結成したのが起源である。 ファシズムという言葉を言語として定義づけるのは非常に難しい。 「ファシズム」とは「コミンテルンから敵と思われているもの」というのが比較的わかりやすい定義である。とにかく敵を罵る時に使う言葉である。気に入らない奴はみんなファシズム、「ファシズム=悪」という言葉にすぎないわけだ。 ファシズムは自己定義しなかったし、ファシズムを敵とした人民戦線も定義できなかったし、結局はファシズムが消滅するまで、ファシズムとは何かという判定が決まらなかった。 辞書では「ファシズム」の定義を以下のように書いているが、内容は辞書によって様々である。
大東亜戦争前の時代には列強はすべて軍国主義であった(もちろんアメリカもイギリスも)。また、植民地支配は侵略主義であるから列強はすべて侵略主義国家であった。 戦時体制下では経済統制など多かれ少なかれ「全体主義」的体制を敷く。アメリカはニューディール政策という社会主義的政策を見ても国家社会主義だったのは明らかである。 つまり、列強はどこも上記の1、2に該当していた。 3の「一党独裁(独裁者)、議会政治否定」には国によって明らかに差がある。 第二次世界大戦時のドイツ、ソ連は言うまでもなく3にも該当する(現在の支那[中華人民共和国]も北朝鮮も)。 日本には独裁者はいなかった。天皇も東条英機もムッソリーニ、ヒトラー、スターリン、フランコのような独裁者ではなかった。満州事変以降玉音放送(終戦)まで9回内閣が変わり、日米開戦(真珠湾攻撃)以後でも3回変わっている。こんな国を「独裁国家」とは言えない。 一党独裁に関しては、日本では「大政翼賛会」が発足したが、これは政党ではなく、強権により政党が解散させられたというのではない。また、帝国議会も存在しており、憲法の下で予算議決権も内閣不信任の権限も持っていた。 ドイツとソ連はまぎれもなくファシズムであったが、ソ連は「共産主義」という別の名前があるため「ファシズム国家」と呼ばれない。日本はドイツやソ連とは全く違い、アメリカやイギリスと近かったわけだ。 ではなぜ日本がファシズムなどというデマが生まれ、それを信じている者がいまだにいるのか。 アメリカやイギリスはナチス・ドイツと戦うためのプロパガンダとして反ファシズム史観というものを作り上げた。 戦後の英語の歴史というものは一貫して反ファシズム史観だった。英語が今や世界的言語なため、英語で書いた歴史というものが正当史観になってしまっている。名前は共産主義だが実態はファシズムのソ連とは第二次世界大戦の途中から英米は同盟を結んでしまったから、共産主義はいいが、ファシズムは悪い。ソ連はいいが、ドイツは悪い、そのドイツと同盟を組む日本も悪い。このようなくだらない反ファシズム史観から、日本がファシズムとされたというわけだ。 要するに、第二次世界大戦で英米がソ連と同盟して日独伊と戦ったから、日本がファシズムになったというわけだ。ばかばかしい。 このファシズムというものを100パーセント利用したのが丸山真男である。日本をファシズム国家と勘違いさせているのはこの男の影響も大きい。 丸山真男 参考文献:広辞苑の嘘 (谷沢永一、渡部昇一) |
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