自衛戦争

1928年のパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)以降、戦争を攻撃戦争(侵攻戦争)防衛戦争(自衛戦争)とに区別する考え方が、現実的な意味をもつようになった。

  パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)
  侵略(侵略戦争)

自衛戦争あるいは防衛戦争というのは、自国が他国から、権利侵害や脅威を受けて、自国の正当な権利や利益を守るために、どうしても武力行使に訴えざるを得ない場合の戦争であり、現在でも合法的に遂行できるものとされている。
自衛戦争という場合、たとえば、イギリスなどは昔、たくさんの植民地を抱えていたが、そういった植民地のいずれかが攻撃される場合に、それを防衛するのは当然に「自衛戦争」と考えていた。それだけでなく、海外、外国の地において自国が有している合法的な権益が侵害されるような場合には、それを実力をもって守るのは自衛行動であるとイギリスなどは主張し、他国もその主張を認めていた。
ちょうど、日本が満蒙の地においてポーツマス条約の講和条約を基本的な法的根拠とする諸権益を有していて、それを防衛することは正当な自衛行為であるというのと同じである。
こういうポーツマス条約を基本的根拠とする日本の満州における合法的な権益が、国際的な陰謀勢力によってそそのかされた支那のナショナリズムの過激な運動によって危うくされた。それに対して、自国の正当な権益を守ろうとして満州事変は、日本にとって本質的に「自衛戦争(防衛戦争)」だった。柳条湖で鉄道を爆破した云々といわれるが、これが事実だとしても、日本側はそのような小細工をする必要はなかったのであり、合法的権益が危うくされた全般的状況にかんがみ、自衛行動をとる十分な権利があったのである。

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参考文献 歴史年表