明治43年(1910)に韓国を併合すると、朝鮮半島各地では抵抗運動、反日運動が起こった。 韓国併合(1910年) しかし、それは満州事変の前後から急速に減って、ほとんどなくなった。これは朝鮮人の不平・不満がなくなったからである。その理由は日本国籍を持っているほうが得だとわかってきたためである。 当時は恐るべき人種差別の時代で、世界の有色人種の中で人間扱いされていたのは日本人だけだった。白人以外は人間扱いされていなかった人種差別の当時の国際社会で、唯一、日露戦争に勝った日本だけは近代国家として認められていたため、日本名を持っているとヨーロッパ各国へ出かけても、ホテルに泊まることができた。有色人種は政府高官以外はホテル宿泊を拒否される時代だった。 韓国併合後は朝鮮人にも日本国籍が与えられた。このため日本に移住できるようになった。当時の朝鮮にはまともな職が少なかったのだ。今日本にいる朝鮮人のほとんどは自ら志願して日本に移住し、戦後も残留している人である。 また、満州国ができると朝鮮人はそこにも移住できるようになった。満州というのは、かつて朝鮮の宗主国だったところで、そこに土地を持てるというのは感慨深いことだった。しかし困ったことに国籍は日本だが名前は朝鮮風のままだった。満州にいる支那人たちは、かつての属国であった朝鮮の連中を軽蔑した。このため満州に移住した朝鮮人たちは日本風の名前が欲しくなった。これが創氏改名の元となる。 日本国籍も取得できて近代国家日本にも移住できるとあって、望んで日本名に改名し、希望をもって日本にやってきた人たちが今日の在日一世と言われている人たちである。ちなみに戦争中に徴用で来た人たちのうち戦後、帰国希望者はほとんど帰っている。 要するに、創氏改名とは日本政府の強制でもなんでもなく、あくまで自発的なことだったのだ。 創氏改名は台湾でも行われた。強制でなかったから台湾人は文句を言わない。 ところが戦後に韓国が、日本を敵対視することでナショナリズムを高揚させる政策をとったために、日本名を名乗っていた人たちが一転して、あれは極悪日本軍が強制した、と虚偽の言い訳をした。図々しい大ウソだが、それがいつの間にか韓国の歴史では史実として認められ、日本のマスコミ、反日左翼も日本叩きに利用してきた。 |
参考文献 | 歴史年表 |