横田喜三郎

東京裁判が始まったとき、東京大学法学部の国際担当教授であり、東京裁判の翻訳係になった。
横田はいち早くGHQに迎合し、東京裁判絶賛論を唱えた。
横田は裁判中にマッカーサーの「東京裁判所条例(憲章)」を擁護した。横田は「東京裁判は世界が最後の審判を下したもの」とキリスト教の神の裁きのごとき表現をし、日本の自衛論を否定した。「日本の戦争は20年間の侵略」と連合国側の立場で決め付けた。さらにパリ不戦条約を持ち出し日本を断罪した。
また横田は東京裁判を「人類の理想状態をきずくために必要な、もっとも根本的な土台石の一つをすえつけ、この理想状態に向かって、大きな前進を実現したのである。・・・それは世界史におけるひとつの金字塔であり、永遠にその輝きを失わないであろう」などと絶賛した。
法を無視したリンチ裁判をここまで讃えた横田は、その後の日本の法曹界の頂点たる最高裁長官にまで出世し、勲一等旭日大綬章(この勲章は東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイももらっている)、勲一等旭日桐花大綬章、文化勲章を受章、これらを天皇陛下から拝受したのだから笑える。横田喜三郎は、占領下で天皇制を「無知と奴隷的服従が日本人民の自然な発達を阻止したために生じた奇形状態」「昭和天皇は退位すべき。軍国主義の責任をとれ」とまでなじって天皇制廃止を訴えていたのである。

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参考文献 歴史年表