日露戦争が終わると、ようやく東アジアは安定したが、他方新しい動きが出てきた。アメリカが日本を敵視し始めたのだ。 大東亜戦争というのは、簡単に言うと支那をめぐる日本とアメリカの抗争である。このような形の争いが生まれたのは、日露戦争の末期からである。大東亜戦争の基本的性格は、日露戦争の終わるころに発生した。 日露戦争が終わるまでは、日本とアメリカの関係は非常によかった。アメリカは全面的に日本を応援した。それが、日露戦争が終わって日本がポーツマス条約によって満州に権益を初めて獲得する。こうなると、今度は清国が日本の力で満州をロシアの手から取り戻してもらったにもかかわらず、日本を排斥し始めた。そしていわゆる夷を以って夷を制する政策(以夷制夷)で、、自分の力でやるのではなくて、アメリカ、イギリスの力を借りて日本を排斥するという、支那伝統の政策をとってきた。 アメリカもそのときは、もう親日家のセオドア・ルーズベルトからタフトへと大統領が代わって、金をばらまいて日本の権益を妨害するという外交(ドル外交)を行うようになっている。それが満州で行われた。それは満州における日本の鉄道、満鉄に対するアメリカと清国、それからイギリスも入ってくるが、その妨害工作となってひとつはあらわれてくる。 つまり、満州の鉄道をめぐる日米の争い一つ。もう一つは日本のアメリカへの移民を排斥するという排日移民問題となってアメリカであらわれてくる。この二つの形をとって日本とアメリカとの抗争が生まれる。 満州の鉄道をめぐる日本とアメリカとの争いというのは権益をめぐる争いである。それに対して、アメリカへの移民をめぐる争いというのは、権益ではなくて日本の国家的名誉、民族的名誉をめぐる争いである。この二つの形の違った争いがずっと長い間継続して、大東亜戦争にも大きな関係を持ってくる。 アメリカの排日 日露戦争の勝利は、国内的には、明治人の気概がいかんなく発揮され、国民の自信と誇りを高め、国際的には非白人植民地民族を感奮起させ、白人らには「」 |
参考文献 | 歴史年表 |