大正11年(1922)7月、「コミンテルンの日本支部」として日本共産党が発足したとき、日本革命のための綱領素案が作られた。それが「22年テーゼ」といわれているものである。 項目は次の通りである。
一瞥しただけで、まったく日本の現実を見ていないものであるかわかる。これらのことが貧弱な一組織である共産党にできるわけがない。しかも、当時は、天皇および皇族に対する罪は死刑だった。それなのにコミンテルンは、こんな綱領を押し付けてきたわけだ。 コミンテルン(ソ連)の意図は「天皇打倒」などが実現したら、ソ連がそれに代わって日本を支配することだった。ソ連自身は軍隊も警察も拡大しながら、日本にはそれらの解体を求めているわけだから、自分たちの軍隊・警察が日本に乗り込んでくるつもりだったのは明白である。 この発想法は現在の支那(中華人民共和国)とまったく同じである。支那は毎年10%以上の幅でどんどん軍拡を続けながら、日本に対してはことあるごとに「軍国主義復活の兆しが見える」とほざいているのだから、コミンテルンとまったく同じパターンである。 27年テーゼ 32年テーゼ 人民戦線テーゼ |
参考文献 | 歴史年表 |