昭和7年(1932)5月にコミンテルンで決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書(テーゼ)」の通称。 内容の概略は以下の通り。
これが日本の歴史を歪めた最大の作用で、いまも日本を呪縛し続けている。 当時の日本共産党というのはコミンテルンの日本支部だった。スターリンが出した指令というのは各国に行くわけだが、自国の歴史を闇黒化させるような指令は、日本以外の共産党には出していない。これが徹底した自虐史観の醸成のもととなった。スターリンは日露戦争の敗北がよほど悔しかったらしく、そのルサンチマンを日本歴史の闇黒化とそれによる日本民族の弱体化という手段で晴らそうとした。国際共産主義の拡張という美名のもと、当時の知識人や労働運動家はそれに乗せられて自国の歴史破壊をやったわけだ。 なんとか持ちこたえていたものが、大東亜戦争の敗戦ですべてひっくり返された。混乱の中であす革命が起きるかもしれない、粛清されるかもしれない、そういう恐れが日本の知識人や学者に「32年テーゼ」の枠の中でしか発言させない、ものを書かせないようにした。さらにこれに連合国のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムが重なって、いわば二重の拘束を日本人は受けることになった。これが日本の戦後の精神史に一番大きなダメージを与えた。 これについての詳しい説明は以下のホームページが参考になります。 日本国を恐怖した共産主義大国ソ連 22年テーゼ(1922年) 27年テーゼ(1927年) 人民戦線テーゼ(1935年) |
参考文献 | 歴史年表 |