昭和2年(1927)8月に国民党政権統一の条件として下野(国民革命軍総司令を辞職)した蒋介石は、9月末に来日した。そして11月5日、田中義一首相を訪問し、森恪も交えて約2時間会談した。 この会談では大体、次のような2点を中心に話し合われ、双方で円満な了解が成立した。
「両国民は一致して東亜の平和に努力するため、まず支那国民革命の完成を図り、真正なる両国歓喜の基礎を立てねばならぬ。かくしてここに同文同種、共存共栄の持論は始めて実現しうるのである」 日本にしてみれば、もしこの通りに進んでいれば、張作霖爆殺事件も満州事変も支那事変も要らなかった。 日本が恐れたのはとにかく、共産革命が起こって皇室廃止という事態に立ちいたることだった。そこで田中首相も森恪も蒋介石に「とにかく共産党と分離してくれればあなたを助ける」といったのだ。 会談では、驚くべきことに、蒋介石は、「ソ連は支那に干渉しているのだから、日本も干渉援助して欲しい」と語った。 帰国した蒋介石は国民革命軍総司令に返り咲き、北伐を開始する。 第二次北伐(1928年4月) |
参考文献 | 歴史年表 |