血盟団事件

昭和7(1932)2月9日、前蔵相井上準之助が、続いて3月5日には三井財閥の団琢磨(だんたくま)が射殺された。捜査の結果、組織的な暗殺計画が明らかになった。盟主の井上は日蓮宗の僧侶だった。

ブロック経済によって日本はますます窮地にたたされる中、右翼社会主義に心酔した青年たちや陸軍青年将校たちの動きも激しくなっていた。
「世の中が不況で苦しんでいるのに、財閥だけが為替相場で設けているのはけしからん」ということで団琢磨は暗殺された。社会主義者の目から見れば、まったく合法的な自由経済活動ですら、腐敗に見えた。彼らにとっては、自由主義経済そのものが悪に見えたのであり、それを攻撃するためのいけにえとして、まず財閥首脳を選んだにすぎない。それは、支那事変ののち、彼ら右翼社会主義者たちが政権を取るようになったとき、財閥のみならず、すべての商業活動が制限されたのを見ればわかる。そして、自由な商業活動がなくなってしまえば、戦争を止める者は誰もいなくなる。
この動きは、五・十五事件、二・二六事件へと続く。

  五・一五事件
  二・二六事件


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参考文献 歴史年表