右翼社会主義の台頭

日本を大東亜戦争に走らせた思想は、戦後、「軍国主義」、「国家主義」などと呼ばれているが、本質は「社会主義」である

世界中が1929(昭和4)年に始まった大恐慌にあえいでいるときに、五ヵ年計画が成功しているように見えたソ連の政策は魅力的なものだった。
統制経済を取り入れたい、しかし、天皇制の廃止を唱える共産党は許せない - このジレンマの中でが然、影響力を持ち始めたのが「天皇を戴く社会主義」「右翼社会主義」だった。
代表的な思想家は北一輝大川周明であり、彼らの論旨は「皇室以下にある上層の諸階級、すなわち華族、地主、資本家などの裕福層を抹殺せよ」というもので、まさに「社会主義」だったのだ。彼らは右翼であるがために天皇を仰ぐ。しかし、「天皇」を「スターリン」に置き換えれば、ソ連のスターリンとまったく同じものになる。

この右翼社会主義は、特に青年将校に浸透した。彼らは安月給なのに大将や華族、地主、資本家たちは裕福な生活を送っている。彼らの部下の兵隊たちは、世界大恐慌による不況下で困窮を極めていた農村出身の者が多かった。農村の娘たちが身売りしているという話を聞いた彼ら青年将校たちは日本の体制に対する義憤も感じていた。こんな不公平を野放しにしている政府は腐敗していると思った。そんな彼らが右翼社会主義に飛びついた。
彼らは北一輝らの理論から昭和の社会変革「昭和維新」を夢想し、腐敗政治の是正と上流階級の粛正を目指さんとする。
このことはやがて軍の独走態勢を決定付ける一因になる。

  五・一五事件
  二・二六事件
  皇道派と統制派

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参考文献 歴史年表