日本撤退後のアジア

日本が敗戦して軍がアジアから撤退したとき、その空白をついて発生したのは現地アジア人同士の殺し合いだった。支那でもベトナムでも、朝鮮半島でも内戦は本格化し、血みどろの戦いが展開された。平和な島だった台湾でも、支那からやってきた国民党による弾圧が始まり、数万人が虐殺された(二・二八事件)。
アメリカ軍施政下の韓国においても済州島で暴動が起き、3万人が犠牲になった。また3年にわたる朝鮮戦争では、韓国軍は41万もの戦死者を出し、負傷者と行方不明者が42万、非戦闘員の死者24万、北へ連行された者が8万というありさまだった。大東亜戦争後のアジア各国の内戦による死者は戦争中の死者をはるかに上回っている。こうした民族同士の殺し合いが、日本軍引き揚げの直後に各地で噴出した
戦後の朝鮮半島の分断は日本の責任だとする学者がいる。朝鮮は支那同様、有史以来内紛の絶えなかった地域である。日本が当時していた時期の方がよほど社会は安定していた。戦後の朝鮮戦争は、もともとの朝鮮の姿に立ち戻ったものにすぎない。支那の国共内戦も、ベトナム戦争も、カンボジア内戦も、みなしかり。
台湾では、日本統治時代、政治運動は取り締まりを受けたこともあったが、大正デモクラシーの時代を経て死刑判決を下されることはなかった。しかし、支那軍(国民党軍)が台湾に入ると二年もしないうちに二・二八事件が発生し、支那軍による台湾人粛清によって3万人もの人間が虐殺された。この二週間の死者は、日本統治時代の初期の15年にわたるゲリラ戦争の死者よりも多い。
マレーシアもビルマも、インドネシアも、独立のための戦争を繰り返し、独立後もたびたび起こる軍事クーデターで多くの血が流された。
アジア人同士の殺し合いは「日本の侵略」途は全く関係がない。国家としてはあまりに未熟なため、武力以外に対立や矛盾を処理する効果的な方法がなかったのだ。

参考文献:捏造された昭和史(黄 文雄著)


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参考文献 歴史年表