平和に対する罪

無宣言の侵略戦争。あるいは国際法、条約、協定、または保障に違反する戦争の計画、準備、開始または遂行。あるいは上記諸行為のいずれかを達成するための共同計画、または陰謀への参加。要するに、戦争を始めたこと、それに関する共同謀議を行ったことに対する罪である。

これはニュルンベルク裁判や東京裁判をやるために戦勝国が勝手に作ったものである。

  ニュルンベルク裁判
  東京裁判

東京裁判でこの「平和に対する罪」のどこが問題かといえば、ポツダム宣言が出された時点では、戦争を始めること、それを遂行することは犯罪とされていなかったのである。国際法でも、いかなる文明国の法律でも、それは犯罪とはされていない。
清瀬一郎弁護人はそこを突いた。またアメリカ人の弁護人も、戦争を犯罪とする学説はどこにもないと指摘した。
戦争では人殺しをしても罪は問われないことになっている。宣戦布告をした途端に通常の倫理は通用しなくなり、戦争のルールが適用されることになる。そのための戦時国際法がわざわざ定められているのである。この戦時国際法に則っている限り、戦争は犯罪ではない。国家は戦争権(開戦と交戦の権利)を持っており、その行使は国際法的に合法なのである。したがって「平和に対する罪」を問う根拠がないし、そうした罪状で戦犯とみなされた人々を裁くことはできないのである。
これに対してはマッカーサーの右腕とも言われたウィロビー将軍も、「こんなことが犯罪なら、子供を軍人にすることはできないだろう」という趣旨のことを言って東京裁判を批判した。
戦争を始めるかどうかを検討したり、その準備をすることは犯罪ではないし、それを裁く権利は誰にもない。もしあるというのなら裁判管轄権はどこから及ぶのか、何をもって裁くのか、というのが清瀬弁護人の論点だった。
これに対して裁判長のウェッブは、「後で答える」と言うだけで、何も明確な答えを出さないまま裁判を進めた。そして、ついに判決の時まで裁判管轄権を明らかにせずに裁判を行った。
これについては裁判官もさすがに具合が悪いと思ったのか、戦争を始めた罪、及び侵略戦争を計画した共同謀議だけを罪状として死刑になった人は一人もいない。やはり事後法では死刑にできないと考えたのだ。

  東京裁判所条例(憲章)
  人道に対する罪


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参考文献 歴史年表