「従軍」慰安婦問題

この問題は、吉田清治という詐話師の本、慰安婦裁判の原告探しをした活動家、そしてそれを煽るように記載し続けた朝日新聞が作り上げたものである。それを日本政府が小手先で処理したことで後々まで禍根を残した。

「従軍慰安婦」などという「強制連行」を連想させるような用語はもともと存在しなかった「強制」を証明する「資料」もなかったし、「目撃者」もまったくいなかった。「元慰安婦」の証言は、強制連行を立証するだけの信憑性はなかった。つまり、そんな事実があったという証拠は一つも見つかっていない完全なデマだったのである。

朝日新聞は平成4年(1992)1月11日、首相の韓国訪問5日前に、1面トップで「慰安所の経営に当たり軍が関与、大発見資料」として大々的に報道した。この記事の説明や同日の社説には「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「その数は8万とも20万ともいわれる」と書かれ、中央大学教授の吉見義明が「軍の関与は明白であり、謝罪と補償を」というコメントを寄せた。
これに対して、宮沢内閣の官房長官だった加藤紘一は馬鹿なことにすぐに謝罪した。その直後に訪韓した首相の宮沢喜一は、謝罪すべき強制連行など存在しないにもかかわらず無責任に謝罪した。その場をしのごうという卑しい理由のために、日本民族の末代までの恥を創り上げたのだ。
ところが調べてみると、それは軍の関与を示すものではなく、逆に軍の関与を否定するものだった。その資料というのが陸軍省が北支那方面軍および中央支那派遣軍に宛てた文書で、「最近、軍の名を借りて慰安婦を集めている怪しからん民間業者がいるから取り締まれ」という内容だったのだ。しかし、外国人はそんなことどうでもよく、日本の政治家が謝った以上、「従軍慰安婦」は事実と信じてしまった
さらに翌年、村山内閣の官房長官だった河野洋平がまた謝ってしまった。日本の首相や政府のスポークスマンが二人も謝ったのだから「従軍慰安婦」の強制連行は絶対にあったに決まっているという話になってしまった。
加藤紘一宮沢喜一河野洋平という救いようのない3人の馬鹿が謝らなければ日本人が汚名を着せられることなどなかったのだ。

「従軍慰安婦」問題の歴史
昭和58年
(1983)
吉田清治なる輩が「私の戦争犯罪〜朝鮮人強制連行」(三一書房)なる本を出版した。その中で吉田は「慰安婦にするために済州島で女性205人を強制連行した」と書く。
平成3年
(1991)
5月:朝日新聞の大阪版が吉田清治なる輩の証言を写真入りで紹介。
8月:朝日新聞のソウル特派員、植村隆が「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く」と報じる。
12月:元慰安婦だという女性など35人が日本政府を相手取って謝罪と賠償を求めた提訴を行なう。
平成4年
(1992)
1月:韓国を訪問した首相の宮沢喜一が首脳会談で8回も謝罪。「真相究明」を約束する。
3月:現代史家の秦郁彦教授が済州島に行って吉田清治の話がでっち上げであることを突き止める。
7月:官房長官の加藤紘一が、「朝鮮人女性の強制連行を裏付ける資料は発見されなかった」が、「慰安所の設置や運営・監督などに政府が関与していた」と発表。
平成5年
(1993)
6月:翌年4月から使用される日本史教科書7社(日本書籍、東京書籍、大阪書籍、教育出版、清水書院、帝国書院、日本文教出版)のすべてに「従軍慰安婦」に関する記述が掲載されることが判明。(教科書にまで載ってしまったため、今ででも「従軍」慰安婦がいた、などと本気で信じている日本人がいる)
8月:村山内閣の官房長官の河野洋平が旧日本軍の強制連行を認める「河野談話」を発表。客観的証拠や第三者の証言はないのに、信憑性のない元慰安婦の証言に基づき「強制連行」を認める談話を発表し、謝罪
平成7年
(1995)
5月:吉田清治、「私の戦争犯罪〜朝鮮人強制連行」が作り話だったことを告白
7月:首相の村山富一は「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」なるものを発足させ、1人あたり200万円の償い金と一緒に村山のお詫びの手紙が添えられた。この運営費要はすべて日本政府の負担(つまり日本国民の血税)である。さらに韓国と台湾に300万円、フィリピンには120万円相当の医療・福祉援助を行なうこととした。償い金は日本国民からの募金、医療・福祉援助は政府資金で支払われた。日韓基本条約において請求権問題は解決済みで、韓国政府は日本に個人補償を求めることはできないのだが、日本政府はこの条約に違反することをやらかしてまった。
平成8年
(1996)
国連人権委員会に、クマラスワミという女(スリランカ人)が吉田清治の本(私の戦争犯罪)や河野談話に基づき、日本軍の性的奴隷制度を断罪する報告書を提出。この女は吉田清治の本が捏造と知っていてこんな報告書を作ったのである。
平成9年
(1997)
元内閣官房副長官の石原信雄氏が、「日本側のデータには強制連行を裏付けるものはいっさいなかった」という事実を発表。
平成10年
(1998)
ゲイ・マクドナルドという女(アメリカ人)が、再びクマラスワミの報告を取りて上げ日本政府を非難。(河野談話はいつまでも尾を引く)
平成19年
(2007)
1月:マイク・ホンダら6人のアメリカ民主党議員が共同署名で米下院に慰安婦問題に対する日本政府の謝罪要求決議案を提出「従軍慰安婦」非難決議
3月:首相の安倍晋三、「旧日本軍の強制制を裏付ける証言は存在していない」と語る。
4月:安倍晋三、アメリカ訪問中の上下両院幹部との会談で、「辛酸をなめられた元慰安婦のかたがたに、個人として、首相として、心から同情するとともに、きわめて苦しい状況に置かれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」などと、元慰安婦に対する同情とお詫びを表明。

こんな経緯で、いつの間にか、日本の軍隊は20万人もの朝鮮人女性を拉致して「セックス・スレイブ(性の奴隷)」に仕立て上げた、というデタラメ話が世界中に定着してしまった

  河野談話
  日本の売国奴史

「従軍慰安婦」なるものは、朝鮮半島を含む東アジア大陸の伝統文化であり、朝鮮人の反日・克日感情をテコとして民力を結集させやすいという理由からでっち上げたものにすぎない。韓国は、この「従軍」慰安婦問題で日本へゆすりたかりを続け(それを真に受けた河野洋平や日本政府が悪いだけの話だが)、その結果、この問題はアジア以外の地域までに飛び火した。

戦前、朝鮮人は台湾にも売春宿を経営していた。それで戦後の残留朝鮮人は男性よりも若い女性が多かった。近年まで韓国はアジア最大の管理売春国家のひとつとして有名だったのである。

朝鮮半島では1000年以上にわたって歴代王朝政府が宗主国(支那)朝廷へ貢女宦官を献上してきた。宗主国に進貢する貢女以外にも、支那使臣専用の妓女、官吏専属の官妓、李朝時代の軍妓(従軍慰安婦)、辺妓、辺婦(辺境駐屯従軍慰安婦)など、すべて朝鮮政府官営のものであった。
このような政府による慰安婦や、公然とした人身売買など、1000年にわたる自国の問題を追及せずに、朝鮮が日本軍の「従軍」慰安婦などを追求するなどというのは馬鹿げたことだろう。

韓国には昔の問題だけでなく、最近のベトナム戦争における韓国人経営の韓国慰安婦、アメリカ駐留軍への韓国慰安婦、国家管理売春問題もあるが、それらへの批判をそらすために日本に対する過去の追求にこだわるのだ。

世界に事実を伝えるため、作曲家のすぎやまこういち氏は私費を投じてワシントン・ポストに意見広告を出した。そこでは以下の5つの主張を掲げた。
  1. 軍による慰安婦の強制連行は無かった
  2. 民間の悪徳業者は処罰された
  3. インドネシアで起きたオランダ女性の事件は軍末端の暴走で、責任者は処罰されている
  4. 元慰安婦の証言がクルクルと変わっているのを見てもわかるように、その証言は信憑性が薄い
  5. 公娼制度のあった当時のことで、佐官級の収入を得ていた慰安婦も少なくない
この紙面には大勢の著名人の署名が載ったが官邸筋の政治家たちは署名しなかった。支那や朝鮮から非難されることを恐れたのは明白である。

すぎやま氏は「南京大虐殺など無かった」という意見広告も出そうとしたがワシントン・ポストは拒絶した。

そもそも、戦争当時は売春制度があったのだ。それは「性の奴隷」ではなく、親の借金に対する保証制度だった。そのため借金が無くなれば自由の身になれた。そうした制度は日本だけでなく韓国(朝鮮)にもあった。親孝行な娘が娼婦になっていたケースも多かった。
陸軍省が北支那方面軍および中支那派遣軍に宛てた文書には「最近、軍の名を借りて慰安婦を集めている怪しからん民間業者がいるから取り締まれ」と書かれていた。紹介業者が各地で慰安婦になるような女性を探していたわけで、拉致とか強制連行という次元の話ではなかった。

日本が売春制度を使用したのはなぜか?

日本軍は国際条約に基づいて、満州および支那大陸の大都市を長期にわたって占領していた。占領していたといっても平和だった。北京でも上海でも南京でも武漢三鎮でも平穏な生活が営まれていた。一般の支那人や満州人や蒙古人にとって、日本軍の駐留していた土地のほうが、国民党軍と共産党ゲリラが戦っている地域よりもずっと安全だった。
戦場ではどこでも若い兵士のせいの発散のために被占領地区の女性たちに手を出す可能性が出てくる。これはどこの国の兵士でもまったく同じことである。
慰安婦制度を日本が用いたのは、被占領地の女性の貞操を守り、兵士を性病から守るためにあったのだ。
では、終戦後アメリカ軍が日本に進駐してきたときはこの点でどうしたか。占領軍が日本に上陸して直ちに命令したのが「アメリカ兵のために吉原のような施設を作れ」だった。この命令は被占領地区の女性を犯してもかまわない、という考えから出たものである。本来ならばアメリカ本土から売春宿の女性を日本に連れてきて営業させるべきだったであろう。ところがアメリカは被占領地の女性を出せ、と命令してきたのだ。
日本は現地の女性を調達せずに、業者に依頼して自国の女性たちを送り込んだ。
吉原のような施設が作られる前、横須賀基地周辺ではひと月に1000件以上のアメリカ兵による日本女性へのレイプ事件があった。こうした事件はGHQの命令により新聞には載らなかったが、事件報告書は残っている。

「従軍慰安婦」という言葉

「従軍看護婦」「従軍記者」という言葉はあるが、「従軍慰安婦」などという言葉などない。「従軍慰安婦」という言葉は元毎日新聞記者の千田夏光(せんだかこう)という輩が昭和47年に出した『従軍慰安婦』(双葉社)という本で作った造語である。その根拠のない言葉を反日出版社の岩波書店が出す「広辞苑」では以下のように説明している。

「日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性」

岩波書店は反日的な元毎日新聞記者の造語を取り上げ、こんな嘘だらけの説明をしている。

ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください
参考文献 歴史年表