アジアの植民地解放

日本が大東亜戦争に敗北した後の出来事について、日本の悪質な中学校用歴史教科書では以下のように書かれている。
「第二次世界大戦は、・・・日本の降伏で、1945年8月に終わりました。日本の植民地とされた朝鮮や台湾、日本軍に占領されていた中国や東南アジアの人々は、解放を喜びました」(帝国書院
「日本は、8月14日、ポツダム宣言を受け入れて降伏することを決定し、・・・第二次世界大戦は終わりました。日本が占領した東南アジア諸国や、朝鮮、台湾などの日本の植民地は解放され、独立に向かいました」(東京書籍

こうした反日・自虐史観の洗脳により、日本の敗戦によってアジアの植民地が解放されたと思い込まされている人が多いが、実はそうではない。事実は、日本が敗戦により引き揚げると、欧米の宗主国(アメリカ、イギリス、オランダ、フランス)は戻ってきて再びアジアを植民地として支配しようとした。つまり、これらの欧米諸国はアジア諸民族に対して再び侵略戦争を行い、独立を蹂躙していたのである。
しかし、大東亜戦争により独立の可能性を信じた東南アジアの国々は次々に独立を果たしていく。
その過程では、インドネシアやベトナムなどのように、終戦後も現地に残り独立戦争を戦い、大東亜戦争の大義を貫いた多くの日本人兵士もいた。
東南アジアの国々は日露戦争での日本の勝利により独立の希望を抱き、大東亜戦争により独立を実現したのである。以下の表参照。

支那大陸では日本が撤退した後に以前から断続的に行なわれていた国共内戦が激化。ソ連の支援を受ける支那共産党軍が、アメリカから見放された国民党に勝利をおさめ、昭和24年(1949)に共産主義一党独裁国家である中華人民共和国を樹立する。

  中華人民共和国成立

敗れた支那国民党軍は台湾島に逃げ、中華民国として島を支配している。

  二・二八事件(白日テロ)(台湾)

日本の敗戦後、他のアジア諸国も、ラオス、ベトナム、カンボジアは再びフランス軍によって占領され、ベトナムに至ってはその後、15年近くも独立戦争を強いられ、国土は荒廃した。
インドネシアもイギリス軍、次いでオランダ軍によって一方的に攻撃を受け、3年半の独立戦争で約80万人もの犠牲者を出した。
チベットは1950年、支那共産党軍によって侵略され、独立を失った。
朝鮮は米ソによって南北に分断され、1950年6月、朝鮮戦争へと突入する。

  朝鮮戦争

アフリカ諸国も大半が1960年までに独立した。しかし、清国の領土に組み込まれていた地域は平成20年現在、いまだに独立を果たしていない。それらは(内)蒙古、チベット、東トルキスタン、そして女真族の故郷・満州である。

日本の敗北後、なぜアジア諸民族は、戦勝国(連合国)による侵略に苦しめられることになったのか。それはソ連共産主義勢力や欧米植民地政府の侵略に対する「盾」となっていた日本軍がいなくなったためである。
大東亜戦争において日本は、アジアを支配していた欧米の植民地政府を次々と打倒していった。このチャンスを生かして、アジアの指導者たちは次々と独立を宣言した。1943年8月1日、バー・モーがビルマ独立を宣言。10月14日、ホセ・ラウエル大統領がフィリピン共和国独立を宣言。10月21日、チャンドラ・ボースがシンガポールに自由インド仮政府を樹立。そして、1945年8月17日、スカルノがインドネシア独立を宣言した。
ところが日本軍の敗北によって、これら新興独立国は自らの力で欧米による再侵略と対峙せざるを得なくなった戦勝国となったイギリス、オランダ、フランスといった連合国は、植民地を放棄するつもりはさらさらなかったからだ。独立の後ろ盾となっていた日本軍が降伏した以上、アジア諸国も再び欧米の軍門に降ってくるに違いないと、欧米連合国は思い込んでいた。
ところが、アジア諸民族は一旦手にした独立を手放す気はなかった。その結果、連合国とアジア諸民族の間に独立戦争が勃発することになったのだ。

独立年 植民地搾取国
昭和21年(1946) フィリピン アメリカ
昭和22年(1947) インド イギリス
昭和23年(1948) ビルマ(ミャンマー) イギリス
昭和24年(1949) インドネシア オランダ
昭和28年(1953) ラオス フランス
昭和28年(1953) カンボジア フランス
昭和29年(1954) ベトナム フランス
昭和32年(1957) マレーシア イギリス
昭和38年(1963) シンガポール イギリス

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参考文献 歴史年表