日本の進歩的文化人は日本の「中国侵略」を強調したいあまり、「日中戦争」の起源を昭和6年(1931)9月の満州事変までさかのぼらせて「日中十五年戦争」と呼ぶようになった。この呼称は支那でも歓迎され、頻繁に用いられるようになっている。 「日中八年戦争」 日本では柳条湖事件(昭和6年9月)に始まる戦争を「満州事変」、盧溝橋事件(昭和12年7月)に始まる戦争を「支那事変(日華事変)」、マレー半島上陸や真珠湾攻撃(昭和16年12月)に始まる戦争を「大東亜戦争」と、それぞれ別個に呼んでいたが、支那政府はそれが気に入らない。「15年戦争」と呼びたがるのには、戦争の連続性と一貫性を強調し、日本の「侵略の野心」を誇張したいという意図が露骨に見えている。 参考資料:日中戦争は侵略ではなかった (黄 文雄) |
参考文献 | 歴史年表 |