独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)の成立が世界を驚かせたことからもわかるように、それまでのドイツとソ連は不倶戴天の状態であった。共産主義革命を起こしたソ連は国際連盟に加入しつつもやはり世界の孤児であり、ナチス・ドイツは反共の急先鋒であったからだ。ヨーロッパを巡る混乱の中、孤立と疑心暗鬼の中にいたソ連は、イギリス・フランスの煮え切らない態度に対してドイツと手を握ることにした。 ドイツがポーランドと戦争を始めるとソ連は、モロトフ=リッペントロップ協定の秘密議定書に基づき緩衝地帯の分割を進めた。1939年9月のポーランド分割によって、ナチス・ドイツとソ連は緩衝地帯を自らの手で消滅させた。 第二次世界大戦[欧州大戦] 国境を接したドイツとソ連両列強の戦争は時間の問題であり、アドルフ・ヒトラーはヨシフ・スターリンがドイツに対する戦争準備をしていると考えていた。 また、当時イギリスはソ連とアメリカの参戦をあてにしていたため、ヒトラーはソ連を倒せばイギリスが講和してくると考えた。 1941年6月22日、ドイツ軍は作戦名「バルバロッサ」の下にソ連を奇襲攻撃した(独ソ戦開始)。この出来事は全世界を震撼させた。 両国軍による捕虜虐待、虐殺、暴行、強姦、略奪行為は凄まじいもので、戦場の各地で見られた。 緩衝地帯の国家が枢軸・連合に鞍替えするといった状況の中、ナチス・ドイツ東部にいたる地域をソ連の支配領域とすることにより戦争は終結する。 ドイツ降伏(第二次欧州戦争終結)(1945年) 日本とのかかわり: この独ソ戦勃発によって松岡洋右外相の和平構想が崩壊した。ドイツからは日本に対して正式に参戦の要請がなされたが、日本は独ソ戦不介入を決めた。 結局、日本はドイツとソ連の思惑に翻弄されるだけの結果に終わった。 日ソ中立条約破棄(1945年) 独ソ戦が始まったとき、日本はドイツを助けてソ連を攻撃するか、あるいは石油などの資源を確保するために南方に進出するかという大きな岐路に立たされた。この北進論か南進論かという論議の中で、非常に強く南進論を主張したのが尾崎をはじめとする多くの言論人だった。 日独伊三国同盟(1940年9月) 日ソ中立条約(1941年4月) |
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