神道指令(1945年12月)

靖国神社などの焼却は免れたが、ダグラス・マッカーサー神道を衰退させ、日本人の大和魂を骨抜きにするという方針をあきらめたわけではなかった。
昭和20年(1945)12月15日、GHQは日本政府に国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督、及び弘布の廃止を命じた。これが神道指令である。

たとえば、明治の初めからずっとやってきたことなのに、日本政府が神道の神社にお金を出すことは駄目とか、公務員や政治家が神社に参拝するのは駄目(寺や教会はいい)、といったことがこと細かく書かれている。

「神道指令」は、神道の禁止だけを目的としたものではない。日本及び日本人に命じた事柄は3つあった。それは神道に加え、皇室の伝統、そして歴史教育を全面否定することだった。このため、今日でも占領軍を「解放軍」とした反日マスコミや政治家は、「神道」「皇室」「歴史教育」の問題となると、常軌を逸した批判をする

また、神道は軍国主義・国家主義の宣伝に利用されたということで、GHQは教科書を検閲し、神道用語等を削除するよう指示している。大東亜戦争」「八紘一宇」などの語句も軍国主義・国家神道を連想させるとして禁止された。これを忠実に守る出版社の教科書は現在でも日本神話を削除したままである。日本民族の物語である神話も、東郷平八郎元帥など日露戦争の英雄たちも、学校では教えられなくなった。日本人から過去の栄光の記憶を消し去ったのだ。
その一方でGHQは「検閲は、これをしてはならない」という条文を含む日本国憲法を押し付けている。
そして、「修身・日本歴史・地理」の授業まで停止させた。ここに日本人が日本人となる文化伝統、歴史、記憶の抹殺が図られたのである。
さらに驚くべきことに、GHQは焚書まで行った。

  焚書

なぜこんなことをしたかといえば、アメリカが日本人の精神的強さが「国家神道」にあると見たからである。「神道指令」を起草したGHQの宗教課長は、「国家神道」を軍国主義的、超国家主義的思想そのものと考えていたのだ。
この考えはGHQの誤解の産物だった。そもそも「国家神道」という言葉は日本ではほとんど用いられていなかった。終戦後のState Shintoが翻訳されてから一般化したのだ。また、GHQは「国家神道」を、ヒトラーのドイツを支配したナチズムと同一視しようとしていた。

神道指令の精神は後に日本国憲法政教分離条項に引き継がれ、首相の靖国参拝問題、地方首長の招魂神社への玉串料違憲訴訟といった、国際社会では稀に見る異常な紛争へとつながっていく。

また、神道指令をさらに徹底させるため、占領軍は翌昭和21年元旦に昭和天皇に迫って、いわゆる「人間宣言」を出させた。

神道指令の中で特に戦後日本人に重大な影響を及ぼしたのが、歴史教育の全面否定だった。要するに「学校で歴史は教えるな」ということ。そんな命令を出したアメリカの学校では今でも歴史の授業を大変に重んじており、週に5〜6時間も教えている。教科書もものすごく分厚い。自分たちの歴史は大切にしながら、日本の歴史は大きく否定し、自分たちが作り直した「東京裁判史観」を日本人に教え込まないかぎり、日本は再び国力を回復し、アメリカの脅威となると見たのだ。
今日本の学校で習っている「歴史」は「社会科」という科目の一部に過ぎない。戦前では外国と同じく算数や国語と並んで「歴史」という独立した教科があった。ところが「神道指令」以降は歴史は社会科の中で教えなさい、ということになった。社会科という科目は戦後昭和22年に新設された科目で、その目的は社会にとって「よき市民」を育てることだ。「国民」ではなく「市民」である。「よき市民」とは、占領軍にとって、アメリカにとっての「よき市民」。つまり、アメリカ流の民主主義や個人主義といった戦後イデオロギーを、日本の子供たちに徹底的に注入するものとして誕生した教科、それが「社会科」なのだ。それは独立した「歴史」という教科を廃止させることによって、占領軍が植えつけた戦後イデオロギーの枠内で許されるもののみを「歴史」と称して教えることを意味した。これが今に至るも続いている。

要するに、神道指令とは一種の「神道弾圧政策」だった。

マッカーサーとアメリカにはウエストファリア条約の精神が浸透していなかった。

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参考文献 歴史年表