日付 | アメリカ | 日本 | 日米以外の国 |
日米関係詳細年表(1939年) | |||
1月 | 1月に成立した米内内閣の外相には枢軸強化反対の有田八郎が任命される。有田は「中道外交」を継承しつつ、対英米国交調整の途を求めた。 | ||
ドイツは日本の対独不信を解消せんと図ったが、日本の対独姿勢は甚だ消極的で、日独関係は冷え切った。 | |||
1月26日 | 日米通商修好航海条約破棄 | ||
3月 | 支那で汪兆銘南京政府樹立 | ||
3月30日 | 汪兆銘政権樹立非難 | ||
3月 | 蒋介石支援のためさらに2000万ドルの借款供与。 | ||
5月 | ルーズベルトは米主力艦隊を突如大西洋からハワイへ移駐(対日経済圧迫強化への布石。アメリカ政府が太平洋において日本と対決する姿勢を明確にしたのはこの時期である) | ||
6月 | フランス降伏 | ||
7月2日 | 軍需資材輸出許可制公布。この結果、兵器、弾薬、軍用器具、主要原料26種、化学製品11種、工作機械等が輸出許可制となった。ただし屑鉄と石油は適用品目から除かれた。 | ||
7月18日 | イギリスと対日石油禁輸謀議 | ||
7月22日 | 第二次近衛内閣発足。日独提携論者の松岡洋右が外相に就任。 | ||
7月25日 | 石油・屑鉄を輸出許可適用品目に追加。 | このアメリカの措置に対する日本の反響は大きく、新聞はこれは経済敵対日挑戦であると論じ、政府も正式に抗議 | |
9月 | 日蘭会商始まる | ||
9月23日 | 日本軍北部仏印進駐 | ||
9月23日 | 日仏協定(北部仏印進駐)不承認声明。 | ||
9月26日 | 全等級の屑鉄、屑鋼の対日輸出を禁止する方針を発表。 | ||
9月25日 | 三国同盟締結目前に、重慶政権に2500万ドルの借款供与。 | ||
9月26日 | 屑鉄の全面禁輸を発表(実施は10月16日より)。 | ||
9月27日 | 日独伊三国同盟締結 | ||
10月8日 | 東アジア在住婦女子の引き上げを勧告(戦争を予期した措置) | ||
10月16日 | 松岡・アンリ協定(北部仏印進駐の合法的協定)を認めず、全等級の屑鉄、屑鋼の対日輸出禁止方針発表。 | ||
同日 | 選抜徴兵法が成立。 | ||
これら一連のアメリカによる経済圧迫は、いよいよ日本にアメリカ依存の経済体制からの離脱を決意させ、当時すでに計画中の日蘭経済交渉を急がせることとなる。 | |||
10月18日 | イギリス・ビルマ・ルートによる援蒋輸送再開 | ||
10月19日 | 最初の兵員抽選式が行われ、陸軍に徴集される最初の80万人が決定。 名古屋領事館閉鎖。 |
||
10月23日 | アメリカ海軍長官、フィリピン海軍を強化する用意ありと言明。 | ||
「大政翼賛会」創立 | |||
10月30日 | 大統領選挙中、ルーズベルト「対外戦争をしない」公約。 同じ演説で、航空機2万6000機を含む大規模な対英武器援助を行なう決意を表明。 |
||
11月6日 | フランクリン・ルーズベルト、アメリカ大統領に三選。 | ||
11月8日 | ルーズベルト「今後、生産軍需品の約半分をイギリスに提供するであろう」と言明。 | ||
11月13日 | イギリス・シンガポールに極東軍総司令部を新設。 | ||
11月30日 | 日華基本条約(汪兆銘政権承認) 日満華共同宣言 |
||
同日 | 日華基本条約否認声明。 対支1億ドルの借款供与を発表。 |
||
日華基本条約を否認し、重慶政権に1億ドルの借款供与発表。 | |||
フライングタイガース派遣(空軍200人を支那に派遣) | |||
12月4日 | ルーズベルト、工作機械41種目を12月10日以後、輸出許可制にすると宣言。 | ||
12月10日 | ルーズベルト、あらゆる鉄鋼製品を12月30日以後、輸出許可制にすると発表。 | ||
同日 | イギリスも同じ日に重慶政権に1千万ポンドの借款供与。 | ||
12月29日 | ルーズベルト、「アメリカをイギリスのみならず、独裁国の侵略に抗して戦うあらゆる民主主義国の大兵器庫になる」という旨を宣言。 | ||
日米関係詳細年表(1941年) |
参考文献 | 歴史年表 |